ろっぴーのブログ

大好きな方々を愛でたい

雪組「fff」感想

観る人によってかなり感想が分かれると思いますが 私自身は元からウエクミ先生の作品が好みということも関係しているのか、観るのがとても楽しい作品です。
何が楽しいのかというと、多くのことを考えさせられ 観るたびに初めての気づきを与えられる…そんな奥深くて簡単には咀嚼しきれないお芝居だという点。
他の方のツイートやブログを読んでいても自分が思いつかなかった意見に触れることが多く、それだけ余白が残された作品なのだと感じます。
受け取り方に正解がないのを前提としたうえで、メインキャスト中心の感想とあわせて 脚本・演出・曲など、私なりにfffをできる限り隅から隅まで考察してたどり着いた解釈を記録していきます。
あくまでも作品で描かれている内容についての考察・感想であり、史実ではどうだったかなど 登場しなかった人・こと・ものはあまり考慮していないこと、当然ネタバレを含むことをご了承ください。

第1場
相関図を見たときは天上界…?と訳が分からなかったのですが(笑)、なるほどこういう役割なのか、と。
狂言回しなら音楽家三人衆だけでもよさそうですが、天使たちも登場するのは ラストで出演者全員がそれぞれの役として一緒に舞台に立つために、天上界へ導く役として必要ということですね。
今回も真彩ちゃんが出ていない場面はありすちゃんに注目していたのですが、ケルビムのお姿がまさに天使!
セリフがないところでも細かくお芝居をしていて、三人衆がケルブとやり合っているときに「口答えしないで!💦」みたいに制止しているのがかわいかった~。

第2場
このプロローグがとにかく好きです!!!
まず、「タッタッタタッタタッ!」にここまで中毒性をもたせられる人が他にいるでしょうか?───否!と言いたくなる強烈なルイの登場。
英雄三人衆直筆のサインが浮かびあがってだいもん咲ちゃん凪様が並び立つ…というこの流れがあまりにも最高で三人の布陣が最強で、何度見ても胸が高鳴ります。

そして、ここに入ってくる謎の女真彩ちゃんの高笑いと影ソロ
高圧的な哄笑がたまらないし、東京公演では大音量の伴奏に負けじと歌声がさらにパワーアップしていて圧がすごい。
公演で最初に真彩ちゃんの歌声を聴くのが影ソロということになるので、そもそも天使の歌声であることと相まってよけいに天から降り注いでくるような印象。
クラシカルな、しかも器楽曲の旋律をファルセットであれだけパワフルに歌えることに驚かされます。

この場面、一つ引っかかるのが ゲーテに彼女の声が聴こえているような脚本になっていること。
いろいろ考えたのですが、このゲーテのセリフは 本編が始まる前の導入として英雄三人衆と同じように彼女を観客に紹介する便宜的なものにすぎないという結論で私は落ち着きました。

楽家三人衆が雲をルイの耳に詰める演出について、失聴の前兆を表現しているとの考察を多く見かけました。
"うるさい音楽"を指揮する張本人が耳栓をするのは理にかなっていないし、あえて先生がこの演出をつけたということはそういう意図なのかなと私も思います。
でも、だとするとこの作品においてルイの失聴は 神や貴族ではなく人間の時代を目指す彼に天が与えた罰、というような見方をせざるを得ませんよね。
正直なところそれについては納得がいかないので、くすぐったがるだいもんと頑張って雲を詰める三人衆をかわいいね☺️と眺めるに徹しています。

そしてこの場面ラスト、ルイが演奏を終えたタイミングでオケピに現れ、ノックの音(コンコンコンコン!)に合わせてタクトを振る、というところで初めて謎の女が登場。
ルイと同時にお辞儀をする彼女の表情が狂おしいほど好きです…

第3場
前述のノックの音で舞台がルイの楽屋に切り替わり、本編に入っていく演出が鮮やか。
皇帝一家とメッテルニヒ、そしてサリエリ
全編通してルイと対照的な立場として描かれる(あやなちゃん演じるルドルフ大公は少し異なりますが)貴族側のメンバーがここで一気に登場します。
特筆すべきはやはり 安心と信頼の久城あすさん演じるサリエリで、宮廷で雇われる立場の人間として当たり障りなく立ち回る軽妙なセリフ回しがさすが。
先生の演出かご本人の役づくりかわかりませんが、全体通してそこまで目立つ出番は多くないのに強く印象に残るのが素晴らしいなと思います。
そして彼らに対するルイの不遜な態度がまた!最高です、癖になります。
私が特に好きなのは皇帝への「どうぞ、お気になさらず」の言い方ですね(笑)

メッテルニヒとのやり取りからさらに場面が転換してナポレオン戦争へ。
不利な戦況でもひるまず兵士たちを鼓舞するナポレオン、なんて理想的な上官でしょう。これぞまさに英雄!
…なのですが、これがルイの想像の中にすぎないのか現実なのかという点でかなり悩みました。
この後の場面もあわせて考える必要があるので、詳しくは後述します。

再び舞台は劇場へ。ここでルイがジュリエッタに求婚するわけですが…
ジュリエッタについては私、数回観ても人物造形が腑に落ちなかったんです。
言い換えれば、彼女の本心にルイへの愛があったのかどうかが読みとれずモヤモヤしていました。
もし本当に愛していたなら、婚約を告げず、しかも彼に誘われた劇場にいきなり婚約者と現れるのはあまりにも不誠実(最後に自分の口から別れを告げたことだけは多少マシですが)。
求婚をやんわり拒絶したのに彼が受け入れなかった(実際は返事が聞こえなかったのだけど、彼女はそれを知らない)から嫌悪感や恐怖を抱き、伯爵や母親の前で関係を断とうとしたとか?…それもピンとこない。
なんて延々と考えを巡らせていました。
「素晴らしかったわ、息が止まるほど」というセリフもモヤモヤを生む要因で。
その前に皇后が「あんまり大きな音で心臓にわるいほど」と言っていることもあり、"あなたの皇族への態度で寿命が縮んだわ"っていう皮肉?とか勘ぐっていたんです(ひねくれすぎだなと自分でも思いますが)

自分の中で納得がいく答えが出せたのが、東京公演中盤。
だいもんアングルで観たいのを我慢してジュリエッタの表情もチラ見していたら、ルイが皇帝一家に不遜な態度をとり始めた時点で「なんて人なの!?」と思ったように見えました。
「素晴らしかったわ」は本音ととれる表情だったので、ジュリエッタ寄りに解釈するなら 純粋に曲が好きでお近づきになった彼女に彼が夢中になったため、断りきれず恋人的な関係になってしまっただけで、彼女はルイとの結婚など端から頭になかった説かなと。
だとしても、自分からけじめをつけてお別れしようとしなかった時点で誠意と敬意がなさすぎるので、好感はもてませんが。

第4場
劇中劇のウェルテル。
まさに月光のようなスポットに照らされて銀橋を渡る凪様がとにかく美しくて…美形でいらっしゃるのは前々から知っているのに、今回は特にわけがわからないぐらいのお美しさでとにかく圧倒されます。
退団者だからこその輝きなのでしょうか😭
佇まいだけで ルイやナポレオンが敬意を払い、賛辞をつらねるほどの知性と人柄、同じく英雄と呼ばれても二人とは全く違う達観したような落ち着きを体現しているのが素晴らしい。
カフェブレでもおっしゃっていたように 一度聞いただけでは容易に理解できないほど難しいセリフが多い役ですが、凪様は自分の言葉として発しているからいっそうゲーテとしての説得力が増しているように感じます。
男役を極めるとはこういうことか、と思い知らされるような存在感とお芝居に脱帽ですし、この役を演じる凪様が見られてよかった、と毎回幸せを感じます。

ここでついに謎の女が本舞台に登場。
ピアノに座った状態(しかもあの姿勢!)で現れる演出に痺れます。
スカレポでお話があったように、かなり幅のある音域を歌っているのに全く身動ぎしないし(レコーディングで手・腕を大きく使って音のイメージを体現しながら歌う真彩ちゃんを見ているだけに、この状態に慣れるのは相当大変だったのではと思います)、ずーっとオペラで見ていてもはっきりとはわからないぐらい口の開け方も最小限
そのうえあの声量!まさにppp
「針の穴に糸を通すよう」というご本人談もむべなるかな、ものすごく繊細に神経を張り詰めてコントロールしないとできないはず。
しかも、これもスカレポでおっしゃっていましたがあえて微妙な音程を狙っているんですよね。
この技術も公演を重ねるごとに進化しているようで、聴き慣れない違和感のある音にはっとさせられます。
ウェルテルがロッテにピストルを請い、謎の女が黒炎を介して渡すところで音階の上昇とともに急激にクレッシェンドをかけるのがこれまた圧巻。

そして、彼女の表情。
初めて観たときは全編通して 望海ルイ以外の人たちが何をしても無という印象だったのが、東京公演に入ってから (おそらくルイの姿を重ねて見ている)ウェルテルやこの後登場する少年ルイを慈しむような哀れむような、寂しげな顔で見ているように感じられて強く印象に残りました。

劇中劇が終わるとルイとヴェーゲラー夫妻が登場し、ジュリエッタの婚約が明らかに。
一度彼女が前を通り過ぎて行ってしまったとき、怒るというより状況を受け止めきれない様子だったルイが 戻ってきた彼女を見て一瞬ほっとしたような笑顔を見せるのが切ない…こんなに感受性豊かで純真な人になんて酷い仕打ちを😢
ガレンベルク伯爵がルイなど見えていない、相手にするに値しないというような態度なのも心が痛いですね…
この作品では出てきませんが史実では彼も作曲家なので、貴族とは釣り合わない身分ながらその才能でもてはやされるルイが最初から気に食わなかったのかも、などと想像しながら観ていました。
演じる真地くんはいつも明るい笑顔が素敵な方。この作品で退団する彼女にご本人とは正反対のような役柄をあてて普段見られない一面を引き出したのも、先生の愛なのかなと感じます。

ジュリエッタが去ってしまったことに加え、声が聞こえなかったことに混乱するばかりのルイの前にオケピから現れる謎の女。
「助けて!」とロールヘンの手をとるルイに対して高笑いするのは、彼が自分から苦い記憶を蘇らせるような行動に出てしまったことを嗤っているのでしょうか。

第5場
回想へ。少年ルイと父ヨハンのやり取りが観劇のたびに凄絶さを増している気がします…
この頃の彼にはまだ人間の平等や自由などの概念はなかったのではと思うのですが、宮廷で媚びへつらう父への反発が貴族への嫌悪を生み、あんなことを選帝侯に対して言わせたのでは。

家から閉め出されて凍える少年ルイに「寒いわね、凍りつくように」と対峙する謎の女。
真彩ちゃんがウエクミ先生に言われたという「強くて厳しいものは美しい」という言葉、この場面が特に体現しているように感じました。
同時に彼女の異質さも際立つ場面。
この回想シーンから物語が大きく動いていく本作では、幼少期と青年期、成年期を別のキャストが演じることは演出上必須です。
それによってより多くの生徒さんに役を振ることができるのに加え、成長したルイ(とロールヘン)に対しずっと同じ姿でいる謎の女が人ならざるものだと明確にわかるようになっているのが効果的だなと。

そして、黒炎がルイにピストルを渡し 彼は少年時代の自分自身にそれを向ける
ゲルハルトとロールヘンが現れてからも かなり長い時間ルイがピストルを下ろさずにいると気づいたとき、ショックを受けました。
このとき彼が背負っていた不幸や絶望は、大人になってから思い出しても死を考えさせるほど重いものだったのかと…

舞台はブロイニング邸に。
ロールヘンたちにピアノを教える少年ルイは家での練習や貴族のための演奏会のときとは打って変わった心から楽しそうな笑顔。
そこに父親が現れて一気に表情が曇るのが切ないのですが、私はここからの「救済の記憶」の流れが作中でも屈指といっていいぐらい好きです。
ゆめくん演じる執事の「くらがりを照らすちっさな炎は、この中に」というセリフ。とても短い一言、でもルイの心に後々まで強く残った言葉だと思います。
その後セリの上に登場する小さな炎の美しさ、神々しさ…
さらにダメ押しのように登場する青年ルイとゲルハルト。
「小さな炎」の歌詞の輝かしさ、野心と希望に燃える若き二人があまりにもキラキラ眩しくて…本当に美しい場面です。
毎回書いていますが、あーさの歌声がますます進化していますよね。
フィギュアスケートのGOE(テクニカルエレメンツに対する出来栄え点。-5~+5で評価)で例えるなら、だいきほのデフォルトが+4~5とすればあーさは現時点で安定して+3以上の歌声を聴かせてくれるなという印象です。
この作品では強烈なインパクトを残すような役ではありませんが、これまで多くの作品でだいもんを近くで見つめてきたことが生きていると感じました。
ゲルハルトの温かい眼差しや笑顔は、ルイにとって大切な小さな炎だったのではないでしょうか。

青年ルイと入れ替わりにルイが再び現れ、回想から元の時間軸へ。ナポレオンの戴冠式
「バカね」と吐き捨てて両手を悠然と広げ、舞台奥へ歩いていく謎の女の後ろ姿にひれ伏したくなります。つよい。
怒りに震えるルイに突き付けられる「あなた、もう聞こえないのよ」という絶望、そしてピストル
でも回想シーンとは異なり、彼は即座にピストルを置いて死を拒絶します。
それまで苦しみの中でもがく彼を嘲るようだった謎の女の笑顔はここで消え、悲しそうな表情で見つめた後苛立ったように去っていく…彼女と入れ替わりで登場する小さな炎に向けられる好戦的な表情にぞくぞくします。

そして、「ハイリゲンシュタットの遺書」。 セリフや歌詞としては全く出てこない言葉ですが、ここで彼が歌うのは「この決心を無慈悲な運命の女神が生命の糸を断ち切ろうとするまで、もちこたえさせてくれ」と実在のベートーヴェンが書いた通りの壮大な決意と生への執着。
舞台上に楽員たちがどんどん出てくる演出からも、彼の熱が増していく様子が伝わってきます。
このまま燃え尽きてしまうんじゃないかと思うほど激しくて、でも同時に口の開け方から重心のとり方に至るまで全身を最も的確なかたちで使っているのがわかる。
感情と理性のハイブリッドのような凄まじい歌唱は、未知の衝撃でした。
だいもんを劇場で観るのはこの作品が初めてではないのに、体験したことのない感覚。ただただ凄い。
この方の体は極上の楽器で、その鳴らし方を完璧に体得したことによる究極の歌声を私は聴かせてもらっているのだ、と思うと尊さに手を合わせたくなるような…男役・望海風斗さんは奇跡と努力の結晶なのだと噛みしめる時間。

第6場
私はこの作品を総括すると ルイの人生そのものというより、それを下敷きに人間の精神を描いた物語だと思っているのですが、それが一番わかりやすいのがこの野外コンサートの場面かなと。

ルドルフ大公や音楽家三人衆が言うように「傑作の森」と呼ばれているほどベートーヴェンの作曲活動が充実していた時期なのに、ルイを称えることに重点をおくのではなく 彼の音楽によって目覚めた人間(民衆)の声と、それに相対する貴族たちという構図。
この作品を象徴的に表しているように感じます。

第7場
肝心のルイは人々の熱狂からは離れ、完全に音楽の世界に没頭。
彼の変人っぽさ、オタク感がオスカー(20世紀号)を彷彿とさせる感じもあり、盆が回ってセットが現れる時点で楽しくてしかたない。
でも実際にはぶつぶつ言いながらピアノを弾くのはとても大変だと思うので(かなり複雑な譜面を弾いていますし)、苦労を微塵も見せないだいもんのプロフェッショナルぶりに頭が下がります。
彼とやり合う家政婦あんこちゃんもイイ味を出していて、東京公演ではいつからか日替わりで彼女の愚痴が聞こえてくるように(笑)
そんな家政婦さんにも愛想を尽かされてしまい、散らかした紙が突っ込まれた桶を手に呆然とするルイ。
それを見て笑う謎の女ちゃんの声がまさに歌っているような軽やかさ心地よさで、全編通して音楽のように語っている中でも特に注目ポイントだと思っています。
ちゃっかり家事や雑用を押し付けられてしまった彼女が「は?」ではなく「は。」と言うところがツボなんですよね~大好き。ルイの「(自分に対して)天才だ!」も大好き。
ここの二人のやり取りはツボでしかないです。
お前に捧げてやる、とルイに言われた運命と比べて月光をかわいいという謎の女ちゃん、単にジュリエッタにやきもちやいてるだけ疑惑ありますよね?
だって劇中で使われた第1・2楽章ならともかく、第3楽章なんて"かわいい"の対極(笑)

第8場
ナポレオンとゲーテの邂逅。
大劇場で咲ちゃんと凪様が二人だけでお芝居するのをがっつり見られる喜び。
皇帝と他国の文官、軍人と詩人、素顔のいち個人…二人のいろいろな顔が絶妙なバランスでこの会話に現れているように感じます。
ルイの視点を通さないナポレオンが登場するのはここだけという点でも重要な場面。

第9場
再びルイの下宿。
散々怒られたのか、コーヒーのときとは違ってパンとお水が載ったトレーを丁寧に置き、机をばしばし叩く謎の女ちゃんがかわいい。
お着替えした彼女のピンクドレスが微妙なデザインなのは、自分の身につけるものに無頓着で まして女性のファッションに関してセンスがあるはずもないルイの“想像の生き物”だから…と私は受け取っています(笑)
真彩ちゃんには本来あまり合わない色味なのかなという感じですが、ちゃんとかわいいのがさすが。
彼女のことを都合よく解釈して迫ってくるルイにたじたじになっている画がとてもイイですね。だいきほで初めて見る関係性のような気がする…一生やっててください!と言いたい。
あと!部屋を出る前にルイが言う「かまわんよ」がとんでもなくどストライク!!
オスカーの「気は済んだ?」を聞いたときに通じる感覚が…共感してくださる方はいるかしら?
まあシンプルにだいもんの包容力あふれる低音美声が性癖なんでしょうね、皆さん同じだと思いますが。

第10場
ボヘミアにてゲーテと対面
ルイのいいように通訳にされて最初は戸惑ったりプンプンしてみせたりしていた謎の女ちゃんが、ルイが憧れの人に裏切られ(と彼は感じている)失望するという、ナポレオンのときと同じ苦い結末が近づくにつれ 本来の暗い表情に戻っていくのが切ない。
ここでの会話にさりげなく重要な伏線が隠れていると私は考えているのですが、それは少し後で。

第11場
ナポレオンの敗北を受けて自由主義の弾圧を始めるメッテルニヒ、それに反発するルイ。
メッテルニヒに関しては、最初からずっと主人公と対立する立場なのに 個人的には嫌な印象が全くないんですよね。
脚本と役づくりが絶妙で、国を最前線で動かす人物としての筋が通った人物造形だからでしょうか。
彼の描き方にも「強くて厳しいものは美しい」が現れているように感じます。
カリさまの硬質な美貌がまた役柄に合っていて最高!
そして、「彼ら(民衆)にとっては革命でも皇帝でも音楽でもいいのだ、楽になれたら」という言葉。
小さな炎は、抽象的な情熱や希望だけでなく ルイの心を豊かにした知識や文学や哲学の象徴でもあるのだと思います。
ブロイニング家で勉学への道を開かれてそれらを手にした彼は、たとえ平民であっても 時に”崇高な理想”によって生きる力を得られることを知っている。そういう人間の可能性を信じている。
だからこそ、このメッテルニヒの言葉を受け入れることはできなかった。

さらに、ルイは彼を案じるような言葉をかける謎の女も跳ね除けてオケを指揮しようとしますが、悲惨な結果に。演奏しようとした曲は「運命」
謎の女へのオマージュとして作られた曲が崩壊してしまうのは、ここで彼女が彼から離れていったことを印象づけているように感じます。

過去にルイに投げかけられた苦しい記憶の中の言葉が蘇り、彼の中に鳴り響いていた「運命」が消える。
それでも「ハイリゲンシュタットの遺書」の旋律を必死に呼び起こし、再び音楽が彼の中に戻る。
しかし、孤独に敗北するように自らそれを絶ってしまう…
力尽きたように、ロールヘンの幻影にすがるように、かつてゲルハルトが「(音楽による革命を成し遂げるのは)無理だ」と言った故郷ボンへ。

第12場
史実では、ベートーヴェン没後に亡くなるロールヘン。
あえてルイ存命中に亡くなる設定にしたのは、父親との暗い記憶との並列で 母親のように案じ見守ってくれる存在をも失ったということを意図しているのでしょうか。
そんな風に観客に感じさせるのは、ひらめちゃんの包容力あってこそですよね。
穏やかで優しい声は、心をざわつかせる謎の女の存在とは対極の安心感があってとても印象的でした。
彼女の死を知ったルイは倒れ、小さな炎も消える…

第13場
ロシアの雪原、ナポレオンとの邂逅
英雄ではなく人間ナポレオンとの邂逅。
一人称がこことナポレオン戦争の場面だけ”私”になっているのは、兵士たちと同じ人間という意識のもと話しているということを表しているのだと私は考えています。

独り言のように心のうちを口にし、ぶつけるルイ。
「誰かといたって人は孤独だ」というナポレオンの答えは真理ですが、”誰か”を得ることができた人だけがたどり着ける真理でもあると思います。
やがて、二人は互いの芸術に共鳴していく。この場面での二人は英雄ではなく音楽オタク、戦術オタクのただの人であり、そんな彼らが見せる取り繕わない人間くささが大好きです。
この場面とナポレオン戦争の場面でのナポレオンは本当の彼なのか、ルイが勝手に頭の中で作り上げた虚構なのか…
私は、本当の彼に出会えたのだと信じたいです。

そして、「ハイリゲンシュタットの遺書」でルイがナポレオンへの怒りと反感をもって歌った「勝利のシンフォニー」が二人の掲げる芸術が交わることによって完成する!
この場面の最初でナポレオンが火を起こすのは、二人の出会いによってルイの中に再び炎が灯ることを暗喩しているように思われます。
しかし、銃声によって二人のシンフォニーは終わり、ナポレオンは消える。
再び姿を現した謎の女。

「その嘆く声 私を産んだ」というこの後の「人類の不幸」の歌詞。
運命を呪うというフレーズがあるように、きっと幸福なときに自分の運命に感謝する人よりも 不幸に襲われたとき運命を憎む人の方がずっと多いし、悲しい哉 そういう負の感情の方が愛や感謝よりも強大な力をもっているものだと思います。
自分に向けられた敵意を忘れたくてもなかなか記憶から消えてくれないように。
彼女はそんな悲しみや苦しみの感情(というよりも念という方が近い?)によって生まれた概念のような存在で、すべての人の側に存在するけど人によってどういう風に見えるかは違うのだと思います。
おそらく女ではなく男、もしくは性にとらわれない存在になることもあり得るわけで、それを表現するために前半で謎の女が着ている黒い衣装はスカートではなくパンツスタイルになっている、という意見を見たのですが私も同感です。
ルイに女性の姿で見えていたのは、やはり彼の結婚願望が為せる業かと。
彼の場合はただモテたい!というより、自分の幼少期の家庭環境ゆえに温かな家庭に憧れていたという方が近いと思うので、切なくもあります…

謎の女は、ルイ以外の人間にとっての”謎の存在”とは違う。
でも、それなら彼女はルイにしか見えない、声が聞こえないはずなのになぜナポレオンと会って話をしたかのように語るのか?矛盾では?
…とぐるぐる考えて、ボヘミアでのゲーテのセリフに思い当たりました。
ベートーヴェン、あなたの命運は、奇しくもナポレオンの命運と共にある。」
二人の命運、つまり運命が共にある…ということは、結末から遡って考えれば 二人のそばにいるのは同じ”謎の女”
とはいえ、プロローグのところで書いたように、ゲーテに彼女の姿が見えたわけではないと私は考えます。
真実を追求する姿勢、尊敬するゲーテに助言や意見を求めながら結局は自分の意思を決して曲げようとしない姿勢。
あと、ゲーテは聞いていないけど、自分のことを天才と高らかに言うところとか(笑)
そんな二人に近しいものを感じ、同じ星の下に生まれている、というようなことを見通していたのではないでしょうか。

ナポレオンと出会った夢との狭間にいるルイが見たのは、おそらくナポレオンが死ぬときに見ていた謎の女の姿
それまで彼が見ていた(センスはさておき)綺麗な格好の彼女ではなく、”囚人のような破れた黒衣”を纏い、髪型も無造作な彼女。
彼女はライフルがナポレオンからの形見だという。
苦しむために人は生きていると語り、生きることは不幸だと言って死んでいったナポレオンにとっては、彼女は不幸の果てに死をもたらす存在だった。だから彼女と同じく人の命を奪うものである銃を与えた。

自分の傍らにいた存在を憎むべき不吉なものとしてしか見なかったのは、ナポレオンだけではない。
現世を「苦しみの牢獄」といったゲーテも、その他この物語のすべての登場人物も。
謎の女自身も。彼女は自分が近くに寄ると力尽きたようにくずおれていく人々の間をさまよい、最後にライフルをルイに向ける。

「怖がらないで」
ムラで観たときはルイを制止する厳しい声に聞こえましたが、東京公演ではいつからか泣きそうな声に変わっていました。
ここで思い出してください。
劇中劇でのウェルテルのように、
①少年時代の回想
戴冠式

とここまでで2回 ルイにピストルが渡されたときのことを。
回想シーンでの謎の女は、ルイが過去の自分を殺すことで、苦しみをもたらす彼女から離れられることを望んでいたように見えました。
戴冠式では悲しげな顔の後に苛立ちの表情。「これ以上、私にあなたを苦しめさせないで」「私が死によって苦しみから解放しようとしているのに、なぜ頑なに不幸な生にしがみつくの?」と訴えているようでした。
これらを経て、最後は自らライフルを彼に向ける彼女。
ルイに決断を委ねていた最初の2回に対し、3回目は自分が引き金を引くつもりだったことになります。
彼女は人間から希望を奪い、最後には命を奪うという自らの宿命に囚われているから…

「人類の不幸」以外に自分の在り方を知らないという「苦しみの牢獄」の中にいた謎の女。
最初は彼女を忌避していたルイですが、都合よく家政婦や通訳にして いつからか当たり前のように彼女がそばにいる生活を受け入れていました。
そんな彼の行動は、憎まれ疎まれるべき存在として生まれてきた彼女にとっては戸惑いや驚きをもたらすものであり、やがて自分が必要とされる喜びも感じたはずです。
だから本来するべきではないはずなのに、「過激なこと言わないで!」「イギリスへ行きましょうよ」とルイを案じて干渉するように。
しかし彼が苛立ちのままに「失せろ」と彼女を突き放したことで、自分は愛されることはおろか必要とされる存在ではなく、彼を苦しめ、彼に憎まれる疫病神でしかないのだと再び悟り、今度こそ命を奪おうとする。
「死は救いなの」というのは、彼を不幸な人生から解放するというだけでなく そんなことは望んでいないのに、彼に負の感情を与えることしかできない苦しみから彼女自身も解放されたいという思いゆえの言葉なのではないでしょうか。
しかし、もはや彼には謎の女への恐怖はなく、静かに彼女に語りかける。彼女はそんな彼を理解できず、脅えを見せる…

「人類の不幸」の音源を繰り返し聴いているうち、この曲の調号、転調も二人の一連の感情を表現しているのではないかと感じるようになりました。
謎の女が歌う(1)はa mollから始まります。変化記号(♯や♭)がない、最もシンプルな調号。つまり、すべての人のもとに偏在する彼女の姿。
「かつて地上にあった~私を産んだ」で一瞬長調C Dur(同じく変化記号なし)のような響きに。これは、彼女が本当は幸福や希望をももたらす存在であることを暗示している?
しかしまた短調に戻り、最後は♭4つのf mollに。半音上げる♯が幸福や喜びを、反対に半音下げる♭が不幸や苦しみを表すとド直球で解釈するなら、このf mollは謎の女がそれだけ強く自らの宿命という牢獄に囚われていると示していることになります。
対照的に、ルイが歌う(2)はh mollから始まります。短調ではあるけれど♯2つ。
そして、謎の女が歌ったのと同じ長調の旋律からD Durへ。長調で♯2つ。
2つの♯…ルイと謎の女、二人が牢獄からの解放に近づいていっていることの現れでしょうか。
彼の歌声に重なる謎の女のパートは、「あなたを殺してもかまわないの?」までがa moll
彼女がライフルを下ろすと同時、「どこまでも共にゆこう」でルイと交わってD Durに

(ちなみに、ハイリゲンシュタットの遺書は♭3つのc mollです。
公演解説にある「失恋、孤独、失聴」という3つの不幸を表しているのでは?)

ルイは幸福も不幸も引っくるめてすべてを受け入れ、謎の女こそが喜びも苦しみも包含する(ワンスにも「背中合わせの喜びと不幸」という歌詞がありましたね)運命そのものなのだと受け止め、彼女を愛し抱擁した。
それによって彼女は「人類の不幸」という宿命から解き放たれ救われた…
これが二人の関係についての私なりの解釈です。

でも、ルイは心の奥底では無意識のうちに最初から彼女の正体を悟っていたと思うのです。
彼女に捧げた曲は「運命」。それにナポレオンにとっての彼女とは違い、彼が見る彼女は初めて会ったときからずっと「強くて綺麗」だった。
同時に、彼女も彼に愛される前からきっと彼を愛していた
それにより、「不幸に戦いを挑む」のではなく、不幸と呼ばれた謎の女を愛することで「運命に勝つ」ことこそがルイの運命になったのでしょう。

第14場
謎の女は運命の恋人に。
先ほど引用したハイリゲンシュタットの遺書の中で実際のベートーヴェンは「運命の女神」と記していましたが、この作品では 彼女がルイを一方的に導く運命の女神ではなく、共に歩んでいく運命の恋人であることに意味があるのだと思います。
二人で一つの存在だから。
GRAPHのラストインタビューで「相手役ができたことでもう1人の自分がいるような感覚に」とだいもんが語っているのを読んで、作中での二人の関係はだいきほそのものなんだろうな、だいきほだから演じられた役なんだろうなと感じました。

芸術は「純粋な精神の世界を築くべきだ」と言ったゲーテ、共に勝利のシンフォニーを完成させたナポレオン。
おそらくルイから二人への返答でもある第九は、「人類の不幸」の最後にルイと運命の恋人がたどり着いたのと同じD Dur
失聴したルイに唯一聞こえていた彼女の声からこの曲が産まれる演出は、オケの旋律に対して「おお、友よ、このような響きではない!」ベートーヴェン自身がシラーの詩に加筆し、人の声が加わることではじめて歓喜の歌となる、という構成にしたことを踏まえているのでしょうか。
できれば真彩ちゃんの歌声だからこそ、脚本にもこれを採り入れてほしかったけど!尺の都合ですよね~仕方ない…

歓喜の歌の旋律にのせられた「喜び 苦しみ ともに歌いたい あなたと歌えれば奇跡のシンフォニーという歌詞。
ハッピーエンドだろうと悲劇だろうと関係なく、どんな作品のどんな音楽も珠玉のデュエットとして至福を届けてきただいきほへの 先生からの最大級の賛辞と祝福であるように感じます。

二人がせり下がった後、残されたライフルを回収するケルブ様が肩をすくめて笑っていて。
「もうこれは彼女には必要ないな」と言っているようで、この微笑みを見ると彼女が苦しみの牢獄から解放されたことを改めて感じて泣けてきます。

ロールヘンの手紙に記されたナポレオンの逸話
皇帝の座を追われ 世界を救うことなど不可能に思える状況になっても尚、道を切り拓き前進していったナポレオン。
ルイとやり方は違えど、最後まで運命にうち勝とうとした彼への労いや祝福のように感じます。

私がこの作品で最も好きなナポレオンのセリフは「誰も思いつかなかった法則と正解を探せ!」なのですが、手紙の逸話を聞いていると、雪原でこのセリフを言ったときに見せたような心底楽しそうな笑顔を浮かべて、あの長い脚で馬を蹴って光の中へ駆けていく彼が浮かんできます。
主人公との一番の見せ場が失墜して“英雄”ではなくなった後というのはナポレオンの描き方としてはかなり難しいものだと思うのですが、この人が思い描く世界を見てみたい!と思わせるような輝きと力が漲る咲ちゃんのナポレオン、私はとても好きです。

そして、手紙の最後に綴られた「いつも全身全霊を込めて働く、我が英雄へ」という言葉。
ルイへの手紙なのに 音楽を生み出すとかではなく働くという言葉を使っているのは、彼以外の人物にも当てはまるようにとの意図があってのことだと思っています。
まず当然思いつくのは、手紙で触れているナポレオン
ですが、私はこれだけではないのではと勝手に想像しています。
ルイを演じるだいもん、ひいては舞台に立つすべての雪組生。彼女たちこそ、この困難な状況の中 文字通り命がけで働く英雄。
ステージドアで「昔から宝塚の一番好きだったところは、出演者から出てくるすごくポジティブな光」と語っていたウエクミ先生には、きっと舞台だけでなく素顔の彼女たちをも称える思いがあるのではないでしょうか。
そして最後は、都合のいい妄想かもしれませんが 私たち観客
ルイやナポレオンに比べたら、全身全霊で働いているといえる人は少ないかもしれないし私自身もそんな自信はないけど、みんな日々一生懸命に生きて、つかの間夢の世界に浸るために劇場に足を運んだり公演の映像を観たりする。
そんな私たちを温かく励ましてくれているようで、私は毎回このセリフに胸が熱くなります。

もう一つグッとくるのが、小さな炎と楽員たちは 皆が真っ白に身を包んでいるこの場面も衣装が変わっていないこと。
ゲーテ(凪様)とメッテルニヒ(カリさま)はもちろん、先述の通りガレンベルク伯爵(真地くん)に執事(ゆめくん)と退団者を印象的に配役しているのがこの作品のとても好きなところなのですが、特に小さな炎(ひーこさん)はどの場面もその美しさが鮮烈で、この役への先生の愛を感じます。
単に退団者のセリフや出番を増やすのではなく、ストーリー上明確な意義をもたせ、かつ美しく見せるという点では完璧に近いのではと思うほど。
もちろんそれに応えられる組子の技量あってこそですから、見事に役として息づいた皆さんに心から拍手です。

音楽は第九からオリジナルの「別れに寄す」に。
この曲の調号は♭2つのB Dur
♯2つの第九と対になっているのと同時に、♭つきの長調ということは「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」をそのまま表現しているのではないでしょうか。
今さらですが、私がこうやって楽曲の調号を勝手に解釈することができるのは、息するように歌うことができるだいもんと真彩ちゃんだからこそです。
お二人の「歌いやすいキー」ではなく、ウエクミ先生や作曲した甲斐先生が最も理想とする形に出来上がっているという確信が前提で成り立つ想像だということは忘れてはいけないと思っています。

皆の中へケルブ様に手をとられて入ってくる恋人。
謎の女としての彼女は人間たちに疎まれる存在だった以上 天上界とは相容れない、天使たちにとって禁忌のような存在だったのかもしれません。
でも、ルイの恋人になったことでケルブ様も笑顔で受け入れてくれたのかなと思うと、よかったねえ…と幸せな気持ちに。
ベテランの専科さんだからこその一樹さんの大きさ、温かさ
ライフルを回収するときといい、セリフは全くないのにケルブ様の微笑みに救われます。
そして、彼女の外見が変化したのは衣装だけでなく髪も。
ウェーブがかった髪だった彼女がここできれいなストレートヘアに変わっているのは、いろいろなしがらみが解けた心の中を投影しているのではないかなと思います。

幸せそうな笑顔で寄り添うだいきほ、お二人が率いる雪組の全身全霊の歌声、紆余曲折を経てサヨナラ公演の舞台に立つだいもんの「人生は幸せだった!」
こんなにも歓喜に包まれる時間・空間はありません。
望海風斗さんと真彩希帆さんに出会えたこと、この作品に出会えたこと、お二人が作り上げるこの作品に出会えたこと。私にとっても心からの幸せです!