ろっぴーのブログ

大好きな方々を愛でたい

雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」感想

原作映画については断片的な情報しか知らず、公演は千秋楽映像のみを観た上での感想です。
ストーリーの内容に関しては「こうだったらいいな」という願望を多分に含む私なりの意見ですので ご了承ください。

この作品を形容する際に「宝塚らしくない」という言葉を用いている公演評を何度か目にしました。
「宝塚らしい」が主人公とヒロインがロマンチックに結ばれるラブストーリーやド派手な英雄譚なら、確かにワンスはその範疇には入らないかもしれません。

主人公ヌードルスは、誤解を恐れずに言えば「その他大勢」の人生を歩んだ人間だと感じます。
若い頃 富を得て成功することを夢みながらそれを叶えられず、田舎でひっそりとありふれた小市民として余生を過ごす。
この時代のアメリカには、同じような人生を送った人がたくさんいたでしょう。
同じワルでも、世界史の参考書に名前が出てくるアルカポネとは違います。

そもそもタイトルからして、何の情緒もない直訳をしてしまえば「かつてアメリカで」。
主人公やストーリーにはまったく触れていない、アメリカで過ごしたことのある人になら誰でも冠し得る題名です。

そんな「その他大勢」の主人公を宝塚の舞台で主人公として成立させることができたのは、第一にだいもんの力量あってこそでしょう。
まさに百聞は一見に如かずで、私が下手に文章にするより本物を観ていただいた方がずっと伝わるものがあるので細かいことは省きますが
観客の心を震わせるお芝居
自由自在に感情を表現する歌声
研ぎ澄まされた男役としての在り方、オーラ、所作etc...
だいもんが舞台で見せてくれたもののうちどれか一つでも欠けたら、宝塚におけるミュージカル版ワンスは薄っぺらいものになってしまったはずです。

どんなに他の出演者のパフォーマンスが素晴らしくても宝塚の作品は主演=トップスターありきですから、この作品のアイデアを長年温めてきたという小池先生の「運命の女神は私に望海風斗を与えてくれた」という言葉もさもありなん。

少年時代
ヌードルスの少年時代は、苦しい生活の中お金のために仲間たちと悪さをする日々。
彼らの衣装がだぶついているのは 体の成長に合わせて服を何度も買いかえる余裕がないから大きめのものを着ているということなんでしょうね…

でも、そういう背景は置いておいて…と言いたくなるぐらい少年ヌードルスがかわいい!
いたずらっぽい表情、好きな子への態度が不器用になってしまうところ(ちゃっかり不意打ちでキスしちゃったりするけど)。
「窮地を救ってくれた」とか「勝利者への第一歩」とか、大人ぶった言葉遣いも背伸びしている感じがして本当にかわいい。
一方で、年下の仲間をしっかり守ろうとするところは頼りがいがある。
しかも顔は望海風斗なわけだから(ここ大事)、そりゃモテますよね。幼い女の子ってワルだとしても仲間内で特に目立っている男の子に惹かれちゃう傾向があると思うのですが、ヌードルスも色んな子から好意を寄せられていたんだろうなー。本人は気づいていなかったかもしれないけど。

というのも、ヌードルスは大好きなデボラに夢中だから。
ただ、後に彼女と自分の立場の違いに苦しむヌードルスですが 観客から見れば子どもの頃から二人には社会的な壁があるんですよね。

デボラの親はダイナーを経営している=定職がある立場で、後継ぎになるお兄さん ファット・モーもいる。
バレエのお月謝を払えるのも バレエシューズやチュチュや綺麗なカーディガンを持っているのも、それだけ暮らしに余裕があるということ。バレエ教室をしている倉庫にはピアノも置いてあるし。
病気のお母さんを支えて精一杯の生活を送るヌードルスとは大きな違いがあります。

そしてもう一つ違ったのが、二人の夢の描き方
デボラは「ショービジネスで成功して有名になって、どこかの国の皇太子にプロポーズされる」と皇后になるための道筋を考え、実際にブロードウェイに足を踏み入れようとしている。計画というにはあまりにも大胆かもしれませんが、時代は少しずれるものの かのグレース・ケリーのような実例もあるわけで 全くあり得ないとは言えないストーリーです。
それに対し、ヌードルスが語るのは「何でもいい、でっかく儲けるんだ」というふわふわした理想。日々の暮らしに追われる環境で彼が具体的な将来を思い描くのは難しかったのだろうと思いますが、この先も考え方の微妙なズレが埋まらなかったことを思うと この時点で既に二人の道は別れ始めていたのかもしれません。

でも 夢をもってキラキラしているかわいいデボラにヌードルスは恋をして(少女デボラの真彩ちゃんは天使なので無理もない…あの声で話しかけてもらえるならゴキブリ扱いだろうと気になりません)、デボラも這い上がろうとする野心をもったヌードルスに惹かれる。
デボラは「悪いことはしないで」と釘はさしてもヌードルスを決して見下さないし、ヌードルスも経済的な格差なんかに囚われずデボラに気持ちをぶつける。
現実に負けず、いつか一緒に頂点に登り詰めるという志を同じくする二人が眩しくて切ないです。

そしてヌードルス少年の前に現れるもう一人のキーパーソン、脚の長さを隠しきれていないマックス
頭の回転が早くて抜け目がなくて度胸があって、ピンチのヌードルスたちを鮮やかに助けてみせる彼を見ると「犯罪成功の秘訣は1インチの恐れもないこと」という言葉にも頷かざるをえません。

小競り合いの勢いで殺人を犯してしまうヌードルス
とても心に残ったのが、この場面でのデボラのソロでした。
ヌードルスは人殺しに手を染め、ただでさえ成功するには不利な出自の上に前科まで背負うことになる。しかも「陽の当たる道を歩んで」と何度も伝えてきた彼女にとっては裏切りとも言えるようなことをしでかしたのに、それでも尚彼の将来を信じている。
皇太子にプロポーズされて“本物の”皇后になるという夢は捨てて(諦めたのではない)、単に皇后になるのではなく「皇帝になったヌードルスの」皇后になることを夢みる。成功を目指す人なら誰でも良いのではなく、ヌードルスでないと駄目なのだという彼への愛情を強く感じます。

その他のキャストについて。鋭い目つきが印象的なバグジーのしゅわっち、絵に描いたような「かわいい弟分」ドミニクのあみちゃんも新公主演に抜擢されるだけあってさすがの存在感。
厳しくレッスンしながらも温かく子どもたちを見守るシュタイン先生のヒメさんも、素晴らしい安定感で舞台を締めてくれていました。

青年期
出所して再会したヌードルスたち4人。スーツでキメた立ち姿のスマートなこと!男役とはかくあるべし、ですね。
7年前よりも何となく陰のある表情を見せるようになったヌードルス、かわいらしかった笑顔を封印して隙のない雰囲気を漂わせるマックス、一気に大人びたコックアイとパッツィー。みんな本当にかっこいい!

そして、ブロードウェイのプリンセスになったデボラ。大人っぽいタイトなドレス姿と落ち着いた佇まい、ヌードルスでなくてもうっとり…
フォーリーズの場面について「役であるデボラがさらに役を演じていることを意識した」と真彩ちゃんが語っている記事を読みましたが、確かにショーでのデボラの方が素に近いのかも。これぞ真彩ちゃん、という目をきゅっと細めた笑顔を見られて幸せです。

二人がデュエットする「いい夢だけを」。
「お前(あなた)の夢ばかり見ていた」と歌い合う二人に ヌードルス良かったね…!と思うけど、やんちゃな少年が大人になって現れることが「想像通り」だったデボラに対して ヌードルスが追いかけていたのはチュチュを着けて踊っていた少女時代のデボラの姿。
ああ、やっぱりデボラに比べるとヌードルスは自分の理想を追いがちだなあ…とここでも二人の微妙なズレを感じたり。

スターとして開花したデボラと再会する心の準備ができていなかったヌードルスの困惑が「真夜中にひとり」の歌詞には表れていますが、ヌードルス お前は悪魔」というのは逮捕後に実際に彼が浴びせかけられた言葉なのかもと胸が痛くなります。

デボラの他に触れなくてはいけない女性がもう一人。インフェルノの歌姫、キャロル。
男役であるあーさがメインキャストとして女役を演じる上での努力や苦労は山ほどあったはずで、それはもちろんわかっているのですが敢えて言わせてほしい。
顔が良すぎる。
美の暴力とはこのことか…という有無を言わせない美しさ(いつも衝撃的に美しいのですが、今回は女役なのでまた違ったフェーズの衝撃というか)。

フォーリーズのデボラの直後に登場する演出が実に効果的で、ファルセットを響かせるデボラに対してキャロルのナンバーは低音域。
でもだからこそ、男役として歌うときとの差を出して女声の低音として聞かせるのはとても難しかったと思います。
感情をのせる曲とは少し違うショーナンバーとしての歌い方、メリハリの付け方も。
だいもんから歌唱のアドバイスを受けたそうですが、その成果と彼女自身の努力をとても感じる素晴らしい出来でした。

ショーガールたちと歌い踊るときは艶やかでクールで男前で、と思いきやキュートな仕草と笑顔もとっても魅力的で…というプロっぽさを感じるキャロルが マックスには甘えたりまっすぐに気持ちをぶつけるのがいじらしかった。
元男役さんが退団後に「男役の癖が抜けなくて…」と話すのをよく見ますが、現役の男役なのに咲ちゃんの隣で違和感なかったあーさはすごいですね。相手役としての咲ちゃんの力量ももちろん大きかったと思いますが。
華やかな存在感といい難しい役柄といい、彼女にしかできない役だったのではないでしょうか。

もう一人のメインキャスト、ジミー。
結末を知ってから観ても、何だか捉えどころのない人だなという印象です。一番考察するのが難しい。腹の中を見せないというか、裏がありそうだけどなさそうな雰囲気というか… 原作よりも出番を増やしてこの役を凪様に当てた小池先生の信頼が伝わってきます。

前半で唯一本性を見せたかなと感じるのは拷問のくだりですが、利用できる奴を利用して使えない奴は切るというスタンスはヌードルスたちも同じだから むしろ同類だと感じて組むことを決めたのかも。
冷静に計画を立ててストライキの現場でも堂々と振る舞って大勢を引っ張っていく力、善悪はさておき頭がきれる大物ですよね。大がかりな演出や衣装がなくても存在感を示す凪様、さすがです。
そしてこちらも顔が良い。笑

ここで1幕ラストのあの場面について。

まず、ヌードルスの空回り感に観ている側としては心配でならない。
お金のかけ方よ!自分の愛情と二人の思い出の象徴であるバラと王冠、いけすかないプロデューサー(あくまでヌードルスの立場からすればですよ、カリ様は素敵です)に負けじと手配したリムジン、貸し切りにした高級レストラン。
気持ちは嬉しいけど…というデボラの戸惑いも納得です。

そんな反応に焦って、次々に踏まれていく地雷。

「俺たちはロウアーイーストサイドの出なんだ」
→自分の力では変えられない事実。それでもデボラは子どもの頃から努力を続けて見事ユダヤ人初のスターになったのに、今まで出してきた結果もこれからのキャリアも否定されたような気持ちになったことでしょう。
私がデボラだったら「俺“たち”!?悪行で金稼ぎしているあなたと一緒にしないで」と思ってしまいます…

「金で買われたってわけか!」
→またデボラの努力を否定するようなことを…

でも、なぜハリウッド行きを告げられただけでヌードルスはあんなに逆上したのでしょう。
ショービジネスの世界からは離れるかもしれない、でもスターとしての高みを目指すことには変わりないわけで。

デボラが自分の近くから離れる=デボラに愛されていない
ヌードルスは感じたのかなと思います。
子どもの頃こっそりデボラを覗き見るところから始まった恋で、自分が罪を償っている間も彼女は表舞台で着実に成功を収めて。
同じ夢を抱いていたはずなのにどんどん自分が置いていかれているような焦りや不安、デボラに対する劣等感もあったのではないかと思うし、その気持ちはわかります。それでも。
ブロードウェイで活躍する中で野心ある有能な男性を何人も見てきたであろうデボラが7年間姿を消したヌードルスを忘れず、今も「皇帝になれる」と言うのはそれだけの愛があるからで どうしてそこに彼は気づかないのか!

とはいえ、ヌードルスの視点で考えてみると一つ思い浮かぶことが。
慣れた様子でシャンパンをオーダーし、禁酒法の時代でも付き合いでお酒の席があると話すデボラ。彼女はインフェルノにも来店するし、そもそもお兄さんのファット・モーはマックスに雇われている身。
口には出さなくても「お前は俺たちのビジネスを否定するが、それを許容して今のお前があるんじゃないのか」という思いがあって、それがマックスたちと手を切らない背景にあるのかも。単なる憶測ですが。

ヌードルスはとにかく「皇帝と皇后」という結果にこだわり、皇后の座を掴みかけているデボラの隣に相応しくあらねばと感じている。
でも、デボラは少女時代はヌードルスと同じく夢を叶えることを第一に考えていたかもしれないけど、社会に出て色々な壁にぶつかる中で その夢を叶えるための過程が大切で、ヌードルスが真っ当なやり方で努力してキラキラした思い出と共に一緒にいてくれるなら最終的に実現できなかったとしても構わないという考えにシフトしていたのではないでしょうか。ユダヤ人のヌードルスが普通に働いても大きな成功を収めるのが難しいことは彼女もわかっているはずですし。

子どもの頃から微妙に生じていた二人の考え方のズレが決定的な亀裂になってしまったのがこのシーンなのかなと思います。
切ない。もしデボラが「あなたを愛している」とはっきり伝えていたらこの展開は回避できていたのでしょうか。でもタラレバを言い出せばきりがないし、二人とも不器用だったんだなと受け止めるしかないですね…

2幕のハバナのシーン、マックスとキャロルが楽しそうに一緒にいるのが見られてほっとします。よかったねえキャロルちゃん…涙
サナトリウムヌードルスがここのお祭りの曲を歌うのも納得。彼から見ても、ハバナ滞在中の彼女が一番屈託なく幸せそうだったということですよね。爽やかなワンピース姿もかわいい。

そしてみちるちゃん演じるエヴァがめちゃくちゃ好きです私。
グイグイ来るけどべたべたした不快な距離感ではなく、しかもキュートという絶妙なセリフ回しや仕草が素晴らしい!さすがです。

楽しい時間は束の間、禁酒法の撤廃が決定。
インフェルノの経営も危うくなるはずですが、さよなら禁酒法のキャロルがかわいすぎる。
その陰でマックスはジミーに融資の相談を持ちかけますが、「君はこんな所に置いておくのは惜しい男だ」っていうセリフ 最初に頼っておきながら裏稼業を下に見ているようなジミーの本心が透けて見えて怖い…

連邦準備銀行の襲撃を目論むマックスに反対するヌードルス。警察に密告して阻止しようとするも予想外の展開で仲間たちは死亡。
コックアイのまなはる先輩とパッツィーの縣くん、本当にいい味出してましたよね。若干抜けてて危なっかしいところがあるパッツィーと冷静に嗜めるコックアイ。雄弁なハーモニカも印象的でした。安定感のある中堅のまなはる先輩と有望な若手スターの縣くんをオイシイ役で見られて嬉しかったです。

さて、銀行襲撃失敗の後ロッカーの共同資金も失ったことを知り、絶望するヌードルスの場面。
アポカリプス(黙示録)もダビデの星も、映画ではヌードルスとデボラが聖書を読むシーンがあるという情報を知っていたので脳内補完しながら観ましたが、伏線があった方がわかりやすくはあったかもしれません。
でも神様はどうしようもない状況でやり場のない思いをぶつける対象としての役割もあると思うので、無理がある演出とまでは言えないかな。日本人にはあまり馴染みのない感覚ですが。
ここのセットが奥行きを感じてとても素敵だったので、ぜひ劇場で見たかったなあ…

一方、デボラは例の修羅場を迎えた末サムと破局
りさちゃんとのバチバチ琥珀でもありましたが、今回もなかなかにすごい。
サムに対する「私の部屋でしょう、契約で保証された」っていう反論が ああ、デボラだなあ…ってすとんと落ちて小池先生の言葉選びに感激してしまったんですが、共感してくださる方はいるでしょうか笑
「あなたは私を愛しているんじゃないの?」とかではなく、あまり取り乱したところを見せず理詰めで攻める。芸能界で後ろ盾がなく、おそらくユダヤ人であることで嫌がらせなどもされながら今までもこうやって自分を守って戦ってきたんだろうなと この一言で想像させられたんです。

サムはベティーと結婚したようですが(そのまま添い遂げたかどうかはさておき)単なる遊び相手ではなく結婚を決意させたベティーと別れたデボラ。
サムが求めていたのは自立した誇り高い皇后ではなく、従順に自分に囲われる姫だったということなんでしょうね。
そしてデボラの方も本気でサムを愛していたのかというと…ヌードルスへの当てつけという側面もあったのではと個人的には思います。少なくとも男女の関係に発展したのはハリウッドへ行った後のはず。

そしてプレスインタビューのシーン。
映画デビューで賞をもらうという成果を出したにもかかわらず、記者たちに訊かれるのはプライベートなゴシップネタばかり。
高みを目指してブロードウェイからやって来たはずなのに、女優としての自分に関心をもっている人はいるのだろうかという虚無感をおぼえたことでしょう。
デボラがこの後どのように女優の活動を続けていったのかは描かれていませんが、最後までプライドをもって臨みながらも心の中でこの出来事が引っかかっていたのだろうと想像します。

そんな彼女のずっとそばにいてくれていたニック。あやなちゃんはデボラへの恋愛感情は抱いていない設定で演じていたそうですが、その意図通り純粋に幼なじみ同士の爽やかな関係に見えました。
もしお互いにそういう感情が芽生えていたら、この二人も一緒にはいられなくなっていたかも。
子どもの頃から楽しそうに音楽と向き合ってデボラとステップアップし、彼女に寄り添った彼にも悩んだり怒ったりしたことがあるんだろうなとスピンオフが見たくなってしまいます。

壮年期
ベイリー長官からの招待状がきっかけでサナトリウムを訪問し、キャロルとデボラに再会したヌードルス。ジミーとの癒着を報道するニュースまで。
ピースが揃いすぎですよね、デボラが現れた時点でベイリーがマックスであることを察していた可能性は高いと思います。

マックスとキャロルの関係ってすごく難しい。「恋人」ではなく「愛人」というニュアンスの違いは捉えにくいのですが、お互いに依存していたのかなという印象です。
キャロルは不安定な時代に女性として生きる不安を解消してくれる相手、マックスはアポカリプスの仲間たちとは別に自分を受け止めてくれる相手としてお互いが必要だったのではないでしょうか。

記憶喪失になったキャロルをサナトリウムに引き取ったのは巻き込んでしまった責任感ゆえだと思いますが、それだけではなくキャロル個人への思いももってくれていたら救われるとお花畑な私は考えてしまいます。
彼女がマックスの姿を見ればパニックになる可能性がある以上、お見舞いには行けなかったのだと思いますが…

そしてマックスとデボラの関係。
ジミーに生かされて別人としての人生を送らなければならないマックス、女優としてのキャリアを断ったデボラ。お互いにヌードルスを失った二人が愛情というより傷の舐め合いで繋がっていたというのが私の想像です。
マックスは未だに反社会的な金の動きに携わっているけど、それをデボラが許容するのは スターとは呼ばれても皇后にまではなれず夢破れた彼女に 仕方ないという諦めが生まれたからかもしれません。 

ヌードルスとデボラが再会してもそのまま別れる背景には二人とも以前とは生き方が違うこと、「自分と一緒にいることが相手の幸せではない」というお互いの思いがある気がして最後まで切ない…
でも、これもまた人生。まさしくC'est la vieですね(雪組さんの壮大な伏線回収?)

ヌードルスとマックスの関係も一筋縄ではいかなくて、素直にセリフに表れているのは時計のやりとりの際の「友情の証」という言葉だけだと思います。
でも、それまでのシーンでも二人がお互いの力や頭脳を認めてタッグを組んでいることは感じます。
ただの友人ではなく利害の絡むビジネスパートナーだったことが銀行襲撃の際の対立に繋がったわけですが、どちらかといえばマックスの方が人間関係に対してドライに見えるだけにあの時計をずっと持っていたのは意外でした。ベイリー長官になった後も手元にあるということは、おそらく銀行襲撃の際も身につけていたということですよね。
ヌードルスとデボラにとってのバラのように、友情の証というだけでなく夢の象徴でもありお守りのような存在でもあったのかもしれません。
時計をヌードルスに渡した意味は複数の解釈ができると思いますが、私はまだはっきりした答えを出せていません。色々な方のご意見を聞いてみたいポイントです。

社会的な破滅の危機に追い詰められてヌードルスに殺してくれと迫るマックスと、穏やかに断るヌードルスの温度差。
禁酒法撤廃後の苦境も爆破事故でなかったことになり、別人の人生を歩むことになったとはいえベイリー長官としても成功したマックスにとっては初めて味わう恐怖だったのかもしれません。
ヌードルスやデボラのように、一度敗れても人はどうにか生きていけるというある種の強さが彼にはなかった。
「どちらが勝ったわけでも負けたわけでもない。それでいいのさ」というヌードルスの言葉は「宝塚らしくない」人生を歩む私たち観客の多くに響くメッセージだと思いますが、マックスには届かなかった。
でも。それもまた人生なのでしょう。

観れば観るほどたくさんのことを考えさせられる作品です。まだまだ書き残したことがたくさんあるような気がします。
世間がかつてないような非常事態におかれ、宝塚もその影響を受けた中でこの作品のメッセージを丁寧に届けてくれた雪組の皆さんに感謝です。
一日も早く事態が収束し、劇場で素晴らしい観劇体験を楽しめる日が来ますように。